1 + 1 は 2 になる?

「1+1 は 2 になる」と言うが、これはなんだか 1 + 1 とう式が 2 という値に「変化する」ような印象を受ける。
考えてみれば、 1+1 が 2 に変化することを表現しようと思ったならば、1+1 と書いてあるところを消しゴムで消して 2 にしなくてはならない。
一方、1+1=2 という等式には、左辺と右辺が別々に存在していて、それが等しいと宣言している感じだ。そこには、変化を示唆するようなものは何もない。
比例なんてのも、小学校では片方が 2 倍になるともう片方も 2 倍に「なる」と説明されるが、ここにも変化の感覚が潜んでいる。これは生活上に算数を応用するとき、大変に有益な考え方ではあるが、比例そのものには、こうした「変化」を示唆するアイディアは含まれていないと思う。
中学高校生になると、この「変化」好きが実際に不便を引き起こし始める。x+100=300 という方程式を解くとき、x+100=300 を x=300-100 に「変形する」と言う。しかし、そこに時間的な先後を見て「変化」したような印象を抱くと、x+100=300 と x=300-100 の間にある必要十分という関係が見えてこないかもしれない。
万物は流転するとか、流れに浮かぶうたかたは…久しくとどまりたるためしなし、とかいうが、どうやら我々が変化というものに本質じみたものを感じるものらしい。代数を勉強するとき、この「変化」への執着を捨てなくてはいけないというのは、面白いことである。

男は中年になるとスケベになるの真偽

男は中年になるとスケベな者が増えると一般に信じられている。
そんな馬鹿な話はないのであって、スケベな者は一生スケベであり、それほどでもない者は一生それほどでもないに違いない。
であるからして、問題の設定の仕方は、どうして中年になるとスケベになるかではなく、どうして中年を過ぎるとスケベと言われるようになるのかという点にこそある。
自分のことを振り返って言うならば、――自分がスケベなほうかどうかは当面さておくことにして――たしかにスケベと言われても仕方のない特徴を獲得していることは認めなければならない。それは、まさしく観察眼の向上に他ならない。
観察眼といっても、べつだん女性の本心を見抜くなどという野暮な観察眼のことではない。そんなものがついてしまったら面白くもなんともない。そうではなくて、もっぱら美術的な観察眼のことである。
自分が若い頃はまず女性の顔しか見なかったといっていい。もちろん、ハダカを見たいとは思うわけであるが、それはハダカという抽象的なものであって、実際に骨があり、筋肉があり、脂肪があり、表皮があるという具体的なものではない。ところが、中年になるや、抽象性が薄れて具体的な観察対象になるのである。
大変紳士的な男性も、やはりこの観察眼を身につけているということは、ほとんど間違いがないことであろうと想像する。
たしかに、観察されるほうはたまったものではない。目がいやらしいと言われるのも、まことにもっともであって、いやらしくなるのはハートではなくて目なのである。
ただ、一歩すすんで言うならば、それは植物をよく観察するようになるのと全く同じで、画家としての力量が上がったくらいに本人は感じているのだ。いや、失礼な話であるのは重々承知。しかしながら、画家の目には醜いものはないというのもまた真実である。中年男は、この観察眼の進化をもって、美人の範疇を圧倒的に拡張しているのだ。ほとんどすべての女性を賛美しているといってもよい。(ごめん、ちょっと言い過ぎだ)。
もちろん、勝手に賛美するなと言われればそれまでであるから、なんとも言い訳のしようがない。
なお、セクハラ問題や、いわゆる男女共同参画も問題については、まったく別の話であり、まったく別の基準を用意しなくてはならない。

威張る人

威張るというのは、どういうことかと考えると「当面問題になる上下の別を、別の事柄にも適用する」ということだろう。
つまり、上司が部下に指示をするのは、べつに威張っているとは言わない。当面問題になっているのが、業務の遂行であり、それについて上下の別があるのだから当然のことをしているだけだ。一方、部下を休日に呼び出して自分の家のバーベキューに参加させたら、それは業務とは関係がないことだから、威張っていると言われても仕方がない。
店員に横柄な口を利く人は、他の客からも嫌われるものだが、それは契約の主体という関係以外で威を発揮しようと思うからであって、威張っていることの典型だ。
思うに威張っている人というのは、「当面問題になる上下の別」の範囲を勘違いして、権限の範囲外で威力を発揮しようとしている人であって、自分を高く買っている人ということではないだろう。そして、勘違いが元にあるのだから、本人に威張っているというつもりがないのは、むしろ当然といえよう。

原始時代のイメージ

われわれは原始時代のイメージに、自分の考えのなにがしかを投影するように思う。
子どもたちや楽天家のスポーツマンは、原始時代に気楽な狩猟生活を見出し、何とはなしの親しみを抱くようだ。
社会の進展・進歩という面に興味のある人たちの中には、原始時代を身分や所有という概念がない憧れの世界と感じる人がある。
力と力のぶつかり合いの現実性に信頼を置く人にとっては、戦闘の敗者を待ち受けた苛酷な運命が旧石器時代の大事な一面である。
一方私はと言えば、歯切れのいいことは言えそうもない。
たとえば、原始時代の墓に花が供えられていたという発掘成果はしばしば、彼らがすでに愛惜の情を知っていたという文脈で引き合いに出される。しかし、考えてみればそう驚く話でもないだろう。むしろ、愛惜についてわれわれ現代人が原始人よりもより豊かになっていると信じるほうが不自然なように思う。そして、そういう情感は、戦闘における敗者を待ち受ける苛酷な運命と、何ら矛盾するものではないだろう。さらに、身分や所有の概念の有無は、そららの行為が存在することとは、無関係のことのように思える。もちろん、狩猟生活をしていた人々が、狩猟そのものに何ら喜びを感じていなかったとは、想像しにくい。
原始時代の印象を整理するなどということはまるでできないのだ。
そして、これもきっと「原始時代のイメージに、自分の考えのなにがしかを投影」した結果なのだろう。

足元に必要な何か

昔、工場でアルバイトをしたときのことだ。
ベルトコンベアーに乗ってやってくる商品をどうこうするという作業で、それはとても単調だった。私は体だけ動かしながら、退屈しのぎに周囲を観察していた。そしてベルトコンベアーの脇で作業をしている一人の男に目をとめた。
彼は足元に雑誌を置いていた。コンクリートの床の上である。
表紙を見ると、その雑誌は日本軍の軍艦の特集を載せているようだった。ラインが稼働しているときには読む暇がないから、小故障が起こって(小さなトラブルのことで、ベルトコンベアが停まりベルが鳴る)、問題が解決するまでの数分間に読むのだろう。
雑誌の内容は、いまはどうでもいい。私の印象に残ったのは、彼が単調な作業に耐えるために文字を必要としているということだった。何か文化と呼べるものの、ごく素朴な姿でそこにあるように思えた。
山崎豊子に「ムッシュ・クラタ」という短かい作品がある。従軍記者のクラタは伊達男で、キザと言って差し支えない。どんなに苛酷な状況にあっても、オシャレを忘れない。嫌われるだろうと思いきや、周囲の人間はだんだん彼を必要と感じるようになるのである。
単調だったり苛酷だったりその両方だったり、そういう環境において、われわれはごく素朴な形で文化的なものに対する憧れを抱くことがあるのかもしれない。それが学問的である必要もないし、芸術的である必要もない。ペダンチックであるかどうかも、問題ではない。文字そのものが文化だったり、糊の利いたシャツが文化だったりしてもいい。そこに、われわれが生きるのに必要な何かがあるのだと言ったなら、想像力を働かせ過ぎだろうか。

余はいかにして数学で零点を取りしか

私は算数はできたのです。ところが、数学になると、零点を一度ならず頂戴するという始末になりました。どうしてそんなことになったのでしょう? 怠けていたからとか、頭が悪かったからとか言っても仕方がないでしょう。
そういうことはすべて認めた上で、どうして怠けたくなるほど数学がつまらなくなってしまったのか、どう数学に接した結果、頭が悪いと表現する以外に仕方がないほど数学が理解できなくなったのか、そのあたりの事情を思い起こしてみようと思います。

「太郎さんは、いくらかお金を持っていました。お母さんに100円もらったので、持っているお金は300円になりました。太郎さんは最初いくら持っていたでしょう」

小学校の頃を思い出してみて下さい。この問題を考えるとき、だれでも太郎さんの気持ちになってみるのではないでしょうか。100円もらったら300円になったのだから、100円もらう前は300円より100円だけ少ないお金を持っていたはずです。そこで、300-100=200 で、200円という答えになります。みなさんは、太郎さんの世界に入っていって、この問題を見事解決できるわけです。
こうした問題を解くとき、多くの小学生も足すとか引くとかいうことがどういうことなのかを実感しているのではないかと思います。
私もそうでした。そして、この実感こそが算数の大事なところだと信じていました。算数を理解するということは、まさにこの実感を得ることであり、そういう接し方以外は機械的に問題のパターンとそれに対する解法を覚えているのと同じことで、好ましくないことだと思っていました。

前の問題は太郎さんが登場しましたが、これを花子さんにしても、同じように解くことができます。また、100円というのが100ドルになっても、まったく同じ問題だと感じられます。
さらに、問題の骨組みのところだけを表すと □+100=300 という虫食い算になるでしょう。100を足したら300になったのなら、300から100を引けば、□の中に入れるべき答えが求められます。私はこういう虫食い算も、太郎さんが登場する場合と同じように実感を持って解くことができました。その手の抽象化能力はあったのです。
学年が上がって割合や比の勉強に入ると、足し算や引き算よりは難しくはなりましたが、私は実感を持てたと思えるまで勉強しました。それができるようになったときは、この世の中のより複雑な事に対して実感を持てるようになったことをうれしく思いました。

そして、それが私の学校における算数・数学勉強史の絶頂でした。この時、すでに暗い影が心の底に忍び込んでいたのですが、もちろん私はそれに気づいていませんでした。

さて、私の数学勉強史が暗転を始める前に、ここでちょっと実感ということについて考えておきます。
私たちはまわりの人の気持ちを考えて生活しなくてはなりません。いくら立派な理屈を言ったところで、実感の伴わない理屈では空回りするだけでしょう。音楽を聴くときにも、心で感じるからこそ感動するわけです。音楽理論を頭でわかっていても、ハートでわからなければ意味がありません。何より大事なのは実感であり、理屈というものも自分の心で実感できてこそ価値があると、私たちはさまざまな場面で教えられるのです。勉強だってそうに違いない、と小学生の私が思ったのは、当然のことだったように思えます。

さて、中学校に入学すると、算数は数学という名前になりました。名前は変わりましたが、やっぱり数学でも実感ということが大事ということには変わりがないだろうと、私は思いました。負の数というものを習ったときには、貯金が正の数とすると借金は負の数、標高が正の数なら、水深は負の数、というように想像力を働かせました。x+100=300 のような方程式も、虫食い算のようなもので、答えを求めるときに小学生と同じような実感を持つことができました。

私が最初につまずいたのは、因数分解でした。
たとえば (x+1)(x-1)=x²-1のような式の展開には意味を感じることができました。そこには高いところにある物が、低いところに転がっていくような自然さを感じることができたのです。1+2=3 という計算をして答えを出すのと同じような必然性があると思えました。でも、因数分解にどんな意味があるというのでしょう? そもそも、x²-1 を (x+1)(x-1) なんて難しい形に書き直すなんて、不自然なことではないでしょうか?
いくら考えてみても、この世の中には因数分解によって表現されるべき事柄が見つからないのです。現実世界に対応する事がないのですから、因数分解を足し算や引き算と同じように実感することはできません。これは私を苦しめました。
苦しんだといっても、本当にウンウンうなっていたというわけではありません。自覚症状としては、「何となくしっくりいかない」という気持ちが残ったという程度です。ところが、この「しっくりいかない」感じは、かなり悪い結果をもたらしました。因数分解の練習を十分にやる意欲がなくなり、試験の結果は残念なものでした。

気持ちの素直な人や、勤勉な人は、多少「しっくりいかない」ところがあっても、きっとたくさん因数分解の練習をしたと思います。ところが、私は実感することが何より本質的なことだと思っていたし、それを確信している自分が他の人より賢いのだとうぬぼれていましたから、「とにかくいい点数を取りたい」とか「勉強が進めば何か見えてくるだろう」というような、現実的で賢い考え方をすることができませんでした。
あるいは、私にもっと洒落っ気があったならば、パズルを解くような感覚で気楽に勉強することもできたかもしれません。ところが困ったことに、私は変に思いつめて先に進めなくなるようなところがあって、数学をパズルとして楽しむような余裕もなかったのです。
先生の教え方が悪いとか、数学というものは邪悪だとか、そこまでは考えませんでしたが、ただ数学というものがつまらない嫌なものになっていったのです。

今から考えてみると、当時私が考えていた「実感」というのはじつに曖昧なものです。小学生の時だって、いつもいつもそれを持っていたわけではないのです。□×(1/2)=4 という虫食い算を 4÷(1/2)=8 として解いていいのは何故かということについては、□−100=300 や □x2=8 を解くときほどには、実感を持って理解できなかったはずです。ところが、何度も同じような問題を解いているうちに、当たり前に「実感」をもって正しいと思えるようになったわけです。

私たちが実感という言葉を使うとき、それが指している内容はじつにさまざまで、その人、その時によって変わってきます。たとえば、刑法や刑事訴訟法に詳しい人が裁判を傍聴したのと、法律のことについて何も知らないで裁判を傍聴をしたのとでは、かなり実感のあり方に違いがあるでしょう。知識が増えると、実感する内容だけでなく、実感というものがどういうものかということも、変わってくるのです。

もし、小学生の私が算数の足し算引き算について感じていたような実感だけが唯一の実感で、それ以外の感覚を実感と呼んではいけないのだとしたら、実感を得たいという欲望を捨てなければ、数学どころか算数すらも理解できないのではないかと思います。
またもし、実感というものが、常に私たちが感じていなければならない感覚であるとするならば、その実感というのは勉強が進むについれて、常に変化して成長していくものでなくてはならないと、思います。
おそらく、私たちはおおらかに成長した「実感」によってしか、数学の論理的な面に親しみを覚えることはできないのです。そして、親しみを覚えないことは、読んでも聞いても頭の中を素通りしていってしまいます。

話しを戻しますと、中学生の私は因数分解に習熟もしないうちに「実感を得られない」と見切ってしまったので、実感を成長させるチャンスを自分で潰してしまったのではないかと考えています。中学生の私は因数分解の問題をもっとたくさん解いたならば、もしかすると私は、「実感」の性質をもっと豊かでおおらかなものに成長させるキッカケをつかんだかもしれません。その先に、因数分解によってどうして方程式を解けるのか、そういう理屈の面白さを感じる道が開けたかもしれないのです。

自分は実感というのが何であるのか知っている、そしてまさにその実感こそが数学に大事であると知っている、そういう傲慢な考えをを中学生の私が持っていたというのは、素直な人には想像できないことでしょう。きっと、その傲慢さは道徳的な欠点と映るよりも、むしろ私の頭の悪さと映ったに違いないと思います。頭が悪いのが先なのか、傲慢な考えにとりつかれたのが先なのかは、わかりません。もしかすると、ときにその二つは同じことを指すのかもしれません。

私がその思い上がった考えから救われたのは、いつだったでしょう。それは、じつに四十代の後半になってからのことです。数学とは縁がない生活をしていた私は、ふとしかきっかけで高校の数学を勉強し始めたのです。そして、三年ほどかけて、高校の数学を勉強しました。そして、ああ数学というのはこういうものだったのかと驚いたのです。

今回はずいぶんぼんやりとした話を書いてしまいましたが、いずれ中学高校の数学の個々のテーマについて、私が中学・高校の頃に持っていた奇妙な思い込みを記してみたいと思います。

極限との出会い

子どもの頃の記憶だ。たぶん、小学校4年生か、それより前だろう。下駄箱のあるあたりで私はじっとしている。なぜそんなところにいるのかは、わからない。掃除をさぼって隠れていたとか、体育をさぼって隠れていたとか、だいたいそんなところだ。
そして、暇をもてあまして考え始めた。
ここに、立方体の形をした箱があるとする。その上に、一辺の長さが半分の箱を乗せる。そして、さらにその半分の箱を乗せる。これを永久に繰り返したら、天井まで届くだろうか。
最初の箱が十分大きければ、すぐに届きそうだ。では、最初の箱が小さかったらどうか。なんだか届かないような気がする。しかし、箱を乗せる回数は無限だし、箱は小さくなるといっても必ず大きさがある。届いたって悪くはなさそうだ。仮に届く場合と届かない場合があるとしたならば、それはどう違うのだろうか。
いくら考えても、わからなかった。
そして今でも、級数の話になると、下駄箱の砂埃のにおいを思い出す。