オッサンになると頭が固くなるか

一般には歳をとるほど頭が固くなると言われているようだ。
その典型的な例が、「若い人のやわらかい頭でいいアイディアを出してもらって」なんて決まり文句を平然と言うのがオッサンで、なるほど言っていることとやっていることに矛盾はない。
面白いのは、若い人々がこの種の「頭のやわらかさ」にさして価値を置いていないということを、オッサンたちが忘れているらしいということだ。
こうしたシーンでは、オッサンたちが言う「頭がやわらかい」というのは、「不足した資源を補うアイディアを出す能力」ということで、「若い人たち」はむしろそれを軽蔑する傾向にある。そして、しばしば「若い人たち」のほうが正しい(若い人が考える正攻法で責める体力は会社に残っていないかもしれないが)。
もっと一般的な「頭のやわらかさ」ということになると、少しばかり説明が難しい。他人のことはわからないから、自分のことを書く。
私は去年五十歳になったわけだが、「頭をやわらかく保つ」ということに憧れは持っていない。むしろ、さまざまな価値観を拾い食いし過ぎて混乱し、事態を収拾したいという思いがある。若い頃の思い込みから開放されたら、なんだか原野に立たされているということに気づくのが、私が思い描くオッサン像だ。
もっとも、だんだんオッサンたちもなかなかオッサンにして貰えない風潮があって、混乱もしなければ原野にも立たされない人も随分いるのかもしれないが、べつにそれが羨しいとも思わない。オッサンはオッサンらしく、原野に立たざるべからず(立たないということが可能ではない=立たなければならない)である。
そして、奇妙な観察力と、奇妙な喜びをもって、野原をはい回るのだ。それでいて、見かけだけはしっかり難しい顔をして取り澄ましているのがまたオッサンという生き物だ(出典:自分)。
このような奇妙な事態を、頭が軟らかいとか頭が固いとかいう比喩で表現するのは、困難なことではなかろうかと思う。