メンタル強い弱いって何ぞ

どのような人のことをメンタルが強いと言うのだろうかと(ついうっかり)考えた。
仕事や勉強ができても、べつにメンタルが強いとは言わない。どらかというと、守りの固さのような印象を受ける。メンタルという言葉も、メンタル・ヘルスを思わせるところがあり、どちらかというと精神を病まない力、のようなものなのだろう。
言い換えると、外部からのストレスによって心理的に損傷を受けやすい場合にメンタルが弱いと言われ、その反対がメンタルが強いということらしい。
ただし、メンタルの強い弱いというのを現実の人間に当て嵌めて考えてみると、やはりよくわからなくなる。ミケランジェロなどは、しばしば鬱状態に陥ったと言われるが、システィーナ礼拝堂の天井画などを見ても、まったく弱々しい印象を受けない。ヘミングウェイなども、似たようなものである。
けだし、かかる才人は通常の人が戦いを挑まないようなところにまで至らんとするのであるから、ストレスもまた強烈なものであったろう。それでいて二人とも社会性を諦めたりしないものだから、やっぱり本人はしんどかったに違いない。その点、エミリ・ディケンソンなんぞは社会性のほうをすっかり諦めてしまったので、いくらかは気が楽であっただろうか。
けだし、才人も凡人もどういう社会においてどういう生活をしているかによって病的な状況に陥る可能性がだいぶ違ってくるに違いない。
あまり好きな言葉ではないが、現代社会という言葉を使うならば、現代社会を特徴づけるある種の無神経さ(あるいは、その無神経さを糊塗するが如き甘言)、そういったものを所与の環境として受け入れたときに、ある人が社会性が失われるほど精神的ダメージを受けるか否かの原因を、もっぱらその人の持ち分に求めて、これをメンタルの強さ・弱さと呼んでいるような気がしないでもない。
そして、個別具体的に個人の置かれた状況を論じる前に、メンタルが強いとか弱いとかいう一次元的な軸ので割切りたくなること自体が、ある種の社会的無神経さの現れなのかもしれない。さらに言うと、メンタルの強い弱いを勝ち負けのように考える人たちは、そうした無神経さの犠牲者であるのかもしれない。