「人の不幸を笑う」ことについて

「人の不幸を笑う」という表現がある。笑いは良いものだというのが世間一般の考え方だが、この笑いについてはその仲間に入らないらしい。「人の不幸を笑う」人は責められる立場に置かれる。
自分のことを考えるならば、そして多少の勇気を持ってそれを告白するならば、人の不幸を笑うとき、少しだけ自尊心が取り戻されるのである。その量が適量であれば、にやりとするだろう。その量が多量で処理できなければ、もしかすると声を上げて笑うかもしれない。
自尊心を取り戻すこと自体は悪いことではないし、だからその結果微笑んだり笑ったりしても、微笑みや笑い自体が邪悪ということはあるまい。ただ、その原因まで視野に入れると、顰蹙せざるを得ないという話である。
ただ、だからどうだと言われると、私は結論れしきものは出すことができない。
隣家の主人が離婚やむなきに至った経緯を嬉々として語るご婦人が、道端に倒れている人に声をかける様子は容易に想像がつく。また、友人の左遷をほくそ笑んだ自分に嫌悪を感じながら顰め面をして歩いていた紳士が、道に倒れている人の傍らを、気づかないふりをして通り過ぎるところも、同様に自然に思い描ける。
どんな経緯であろうと、自分に満足している人間のほうが人に親切にできるという面があったりして、いいの悪いのと断じようとすると、目の前にある事例はいつだって複雑な様相を帯びてしまう。