前のエントリーを書き直してみる

「ことわざ嫌い」というエントリーアップしてから、どうも気に入らなくなった。例を挙げて我田引水の一般論に持ち込むところなど、我慢できない。削除して書き直そうかと思ったが、同じエントリーをもう一度書いて晒しておくのも一興かと思い直した。

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三つ子の魂百までと言う。子どもの頃に嫌いになったものが、その後もやっぱり好きになれないのも、この類いのことかもしれない。
私の場合、どうしたわけか、子どもの頃からことわざというものに苦手意識がある。端的に言うと嫌いなのだ。それがいつ始まったのか記憶をたどてみると、どうやら物心がついたあたりに行きつく。幼稚園に通っていた頃だろう。
何が欲しかったのかなど、とうに忘れたが、父親に何かをねだったのだった。そんな金は我が家にはない――というような返事だった。そして、父は「ない袖は振れぬ」ということわざで、私への返事を結んだ。
ない袖が振れないのは当たり前ではないか。当たり前のことを言うのは、当たり前ならざる意図があてのことだ。ああようするに「黙れ」と言いたいのだな、と幼い私は感じた。
そもそもことわざなどというものは、反対の意味のことわざをすぐに見つけられるくらいで、それ自体にはさしたる意味はない。ただ、言うほうと聞くほうに、共通の体験があるようなときには、「ほら、あのことだよ」と指し示すための簡便な方法になるだけだ。
あのとき私が共有を求められた「体験」というものが、どういうものであったのか、今はわかる気がする。しかし、それは私がことわざの深みを理解するのに数十年を要したということではなくて、たんに金に困った経験を積んだというだけの話である。