部屋が片付けられるようになりたること

本の栞にしていた映画の半券を目にするまで、その映画を見たことを忘れていることがある。ここでは半券は自分の記憶を補う品物であり、パソコンに取り付けた増設の記憶装置のような働きをしている。
パソコン外付けしたハードディスクを「パソコン」の一部にくり入れて考えていいのなら、映画の半券は私の一部と言っていいかもしれない。
困るのは、どんな詰まらないものでも、何かしら記憶を喚起する働きを持っているということだ。コンビニのレシートですら、かすかに何かを思い出すよすがになりうると考えると、もう何一つ捨てるということができなくなる。
実際、私の部屋は散らかり放題だったし、その原因は明らかに物が捨てられないからなのだった。
それが、人生半ばを過ぎると、なんだか捨てられるような気になってきた。理由はは簡単で、ようするに、若い頃は思い出が希少資源だが、オッサンになると、残りの持ち時間のほうが希少になってくるのである。持ち物も記憶も、こじんまりとまとめ直したほうが足取りが軽快になる。
そういえば、中学生の頃、中年過ぎの先生が「この歳になると、昔の日記とか焼いちゃうんだよねー」と話していた。もしかするとこういう心境は、多くの人に、ほぼ機械的に訪れるのかもしれない。