いわば「どうぶつカワイイ」わけである

ロリというのが何なのかと考えてみると、随分相対的なものだ。

幼稚園児が幼稚園児に恋をしたところで、到底これをロリと呼ぶ人はいない。べつにこれは、園児が助平なことを考えはしないからという訳でもなくて、園児は園児なりに助平なことを考えているという証人が、長じて今こうしてブログを書いているのである。だから、これはせいぜい、園児は実践をしないという位のものだ。

では、長じては如何かとその証人に問うてみれば、好みの年齢なんてものは年とともに段々上がってきて、その上昇具合はオッサンになったからとて、そう衰えるものではない。

この変化は、経験してみないと実感が湧かない。私にしても若い頃は、中年紳士が中年のご婦人にちょっかいなど出しているのを見ると、「あのオッサンも本当は若いほうがいいに決まっているのだが、自分の年を考えてああしているのだ」と失礼千万なことを考えたものだ。

もっとも、オッサンになると小学生なんかを可愛いく思うことはないのかと言えば、そうでもない。ただそれは、ネコなんかが可愛いいというのに近くて、いわば「どうぶつカワイイ」わけである。もちろん、どうぶつは虐待すべからずである。

twitter などを見ていると、ご同輩の中はまるで自分がロリであるかのような発言をする人が少なくない。が、ほとんどの場合あれは一種のファッションみたいな積りでそう言っているのではなかろうかと疑っている。もちろん真実は知り得るところではない。